変化とは?変化とは...........
なにも変化しないでほしい。何も変わらずずっとそこにあってほしい。つまるところ、これが本音でござる。
今親しい友人はずっと親しくできる友人でいてほしいし、Twitterの更新音は今の鳥の鳴き声でいいし、いい雰囲気の意中の相手とはずっといい雰囲気でいたいし、歯磨き粉はnonioがいいし、駅前にずっとファミマがあってほしい。セブンイレブンではなく。
そして私はずっと19歳で、あなたは22歳で、ずっと12月でいい。フォロワーは82人でいい。
とどれだけ思っててもフォロワーは減ったり増えたりする。親しい友人とずっと同じ距離でいることもできない。彼らは対岸にいる。間でちょろちょろ流れる川を見ていたらいつの間にか1月になっている。おしっこみたいな川だと思う。ぼーっと眺める。2月になる。2月になると私は誕生日を迎えて20歳になる。
そうこうしていると駅前のファミマが取り壊される。それは困る。
困るよ!!変化しないでよ。増えたり・減ったり・更新したり・されたり しないで。
私はデモを起こしますよ。変化するなー!変化するなーー!変化を許すな!変化は憲法違反!変化反対!
デモのイメージが共産党の党員たちが街を練り歩いてるやつだけで出来てるからそういう感じのデモになっちゃった。引き合いに出して申し訳ないほどのちっさデモ。個人的デモ。
変化は許せない。今のままでいられないのは苦しい。私が20歳になりあなたが23歳になるのは辛い。変化する前のことを思い出してみてよ。目を閉じてみて。あなたがまだ22歳だったあの頃。ファミリーマートで150番くださいって言ったらウィンストン・キャスター・ホワイトの3ミリが出てきた頃のこと。
変化したことをよく思えないのは辛い。未来のことを考える余裕がなくなる。たとえば繋いでいた手を離されたとする。頭がいっぱいになる。手?手、手...手?!離した?!離したよな?!←こうなる。その後のことを考える余裕がない。手を離されたことが許せずにいる。手を離したあと自販機にお金を入れて午後の紅茶 ミルクティー(あったか~い)を買ってくれる可能性があるのでは?と思える人間はえらい。そんな可能性はゼロに近い。し、その午後の紅茶 ミルクティー(あったか~い)を私に手渡してくれる保証はどこにもない。
というか、↑これは変化が怖いのではなくその背景にある何かを恐れてるのかもしれない。その人・こと(または場所)がなぜ変わったのか?変わってしまったのか?知ることが出来なければ想像し続けてしまう。なら調べればいいのでは?そううまくはいかない。ファミマのお客様サポートに電話をかければいいのか?あのあの、すみません、駅前のファミマはなんでなくなってしまったんですか。-ツー、ツー、返事は無い。ジ・エンド。
変わってしまったよね、と思う友人へ直接、あなた最近変わったよねと言うのはどうか?
これは野暮だ。野暮中の野暮。真の野暮。変化することは世の常・人の常で、私もそれは理解している。その変化が良いことにしろ悪いことにしろ変化した当人はそれを自然なかたちで受け入れていることのほうが多い、ような気がする。変化したことに気づいてないこともある。□だったものが○になったのはなぜなのか考えを巡らせて、また□になることを待つしかない。あなた最近変わったよね。それはなんで?何があったの?気になるから教えてほしいの。イン居酒屋。背景を聞く私が枝豆を食べる様子を想像する。そんなことあったんだ。なるほどね。返事はしない。枝豆を食べ続けているから。
結局のところ真実は知りたくない。私に悪く作用する変化の背景は知りたくない。
どんなこともまるごと受け入れられるのが愛、というふんわりした美学に反している。理想はこれ。変化に対応する器。今はそれを備えてないだけ?
プラカードを掲げて新宿の街を練り歩く。私に悪く作用する変化を許すな。通行人が唾を吐く。
怖いんだよね。このままでいられないことが。
じゃあ私は?私は変化をしないのか?
「そんなことはありえないです。なんかまとも変わったよねと言われることが多い2022年でした」
ヒーローインタビュー。
膝を抱えて坂道を転がり落ちてたら□が○になった。2022年。そう!私も変化をする。1797文字にわたって変化を怖がってきた私すらも。自分の行動がこの人にあまりよくない影響を与えているかも、と思うこともある。それでも変わることをやめない。そんなのっておかしいのか?1797文字にわたってワガママを書き続けただけなのか。
私は変化をするけど、あなたたちは変化しないでよね。
すみません。
そうかもって思ってない時の返事だ。
恐ろしくて許し難いのは変化することではなく自分の器の小ささか。過去に縋ってばかりの自分自身なのか。←なにそれ?バカの論文?
「変わったことをさ~過去の方がよかったって言い続けるより 変わったんだ~こっちもいいねって思える方がよくない?得じゃない?」と友人A。
マジそう。損得で言えば完全にそう。
もうちょい待って。こっちもいいじゃん♩ていつか言うから!こっちもいいじゃん♩って楽しめるようになるから。
「まともは□が○になるのを諦める過程がないよね」と友人B(意訳)。
諦めようなんて考えたことなかった。デモでどうにかしようと思ってた。共産党の党員たちがデモをして、それがどう世論に反映されているのかは知らなかったから。でもなんとなく想像がつく。どうにもならないんだろうな~という想像が。でも声を上げることが大事だと両親に教えられてきたんだよね。両親もびっくりしてるだろうな。そういうつもりで教えたわけじゃないよって。
※変わっていく街や友人のことは大好きで、過去に↓こんなツイートもしています。これはわたしに“よく”作用している変化の話です。都合がいい。
あの、時間かかります。お時間いただきます。あの、いつか私が変化を許せるようになったら、その時はこの文章をみんなで読み上げてください。居酒屋で。そしてプラカードを掲げてください。変化反対!私は唾を吐いてそれをめちゃくちゃにへし折るんだ。
※「(でも、)街もすごくないですか。変わっても無くなっても、あったってことは事実だから」
映画『街の上で』予告編 - YouTube
そして、へし折ったプラカードを抱きながら、みんなでこの映画を観よう。